「保育料は必要経費」という主張が問いかける、税法の本質と現場感覚のズレ

「保育料は必要経費」という主張が問いかける、税法の本質と現場感覚のズレ

弁護士である個人事業主が、国を相手取って「保育料を必要経費として認めるべきだ」と訴えている裁判をご存じでしょうか。2025年2月に提訴され、6月8日に東京地裁で第6回口頭弁論が開かれたこの訴訟は、税務の世界に大きな波紋を投げかけています。

私はこのニュースを見て、税理士としてずっと感じてきた違和感が言語化された思いがしました。それは、「法律に書かれていないルールで経営者を縛る税務実務」への違和感です。

この問題は、単なる保育料の話ではありません。税法の解釈とは何か、そして税理士の役割とは何か——そういった本質的な問いを私たちに突きつけているのです。

なぜ保育料は「経費」と認められないのか

現在の税務実務では、保育料は「家事費」とされ、事業所得の必要経費として認められていません。その理由は、必要経費には事業との「直接」の関連性が必要であり、保育料は「育児のための支出」だから、この要件を満たさないというものです。

しかし、原告側はこう主張しています。

保育料は「子の親が就労時間を確保するための対価」であり、事業を行う上で不可欠な支出である、と。

この主張は、非常に理にかなっています。認可保育園に子どもを預けるには、親が働いているなどの理由で行政から「保育の必要性」の認定を受ける必要があります。つまり、働いているから保育園に預けるのであって、保育園に預けているから働けるのです。

この因果関係を考えれば、保育料は事業を行うために不可欠な支出であることは明らかです。もし保育園に預けられなければ、その時間は仕事ができません。売上は立ちません。つまり、保育料は収入を得るための前提条件なのです。

法律にない「直接」という要件の不自然さ

今回の訴訟で特に注目すべきは、税法学者2名が提出した意見書です。青山学院大学の三木義一名誉教授と神奈川大学の藤間大順准教授という、税法の専門家が揃って国の主張を批判しているのです。

その中で最も重要な指摘は、所得税法の条文には「直接」という要件が書かれていないという点です。

所得税法37条1項には、「売上原価」については「直接要した費用」と明記されていますが、「販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用」については「直接」という限定がありません。

にもかかわらず、税務実務では「直接の関連性」という要件を独自に設けて、経費算入を認めないという運用がなされているのです。

これは明らかにおかしいと、私は思います。

三木教授が指摘するように、法律にない要件を付け加えて納税者の権利を制限することは、租税法律主義に反するのではないでしょうか。

租税法律主義とは、国民に税金を課すには国会が制定する法律の根拠が必要だという憲法上の原則です。法律にない要件で経費を否認することは、この原則を形骸化させる危険があります。

「弁護士会懇親会費事件」が示した新しい流れ

実は、この「直接の関連性」という要件については、すでに裁判所が否定的な見解を示しています。それが2012年の「弁護士会懇親会費事件」東京高裁判決です。

この判決では、弁護士会の役員が支出した懇親会費の一部について、必要経費への算入が認められました。その理由として、「直接」という要件は法律の条文から読み取ることはできず、その意味も不明確であると明確に述べられています。

しかも、この判決は最高裁で確定しています。国側が上告しましたが、最高裁は受理しなかったのです。

つまり、「直接の関連性」という要件は、すでに司法によって否定されているのです。

にもかかわらず、税務実務ではいまだにこの要件が使われ続けている。この矛盾を、私たち税理士はどう考えるべきでしょうか。

抽象論ではなく、具体的な実態を見るべき

藤間准教授の意見書では、もう一つ重要な指摘がなされています。それは、「育児費用だから家事費」という国の主張は抽象的すぎるという点です。

経費にあたるかどうかは、納税者の業務内容、支出の目的、収入獲得への寄与などを具体的に認定して判断すべきであり、一般論だけでは業務との関連性を否定できない——この指摘は、まさに私が日頃から経営者の方々と向き合う中で感じていることです。

税務の世界では、しばしば「これは家事費だから」「これは交際費だから」といった形式的な判断がなされます。しかし、本来であれば、その支出がどのような目的で、どのような実態で行われたのかを丁寧に見ていくべきなのです。

例えば、同じ「食事代」でも、家族での外食なら家事費ですが、取引先との打ち合わせを兼ねた食事なら交際費になり得ます。形式ではなく、実態で判断するのが本来の税法の考え方です。

保育料も同じです。「育児だから」という抽象論ではなく、その保育料が事業を行う上でどのような役割を果たしているのかを具体的に見るべきなのです。

立法趣旨に立ち返る必要性

さらに藤間准教授は、現行の所得税法が制定される前提となった1963年の税制調査会答申に言及しています。

この答申では、所得の形成に直接寄与しない経費であっても「できるだけ広く」経費として認めるべきという考え方が示されていました。

つまり、立法当時の趣旨としては、経費の範囲を狭く解釈するのではなく、できるだけ広く認めることで事業活動を支援しようという方針だったのです。

それが現在の実務では、「直接の関連性」という法律にない要件を持ち出して、経費の範囲を狭く解釈している。これは明らかに立法趣旨に反しています。

私たち税理士は、法律を守る立場であると同時に、法律の趣旨を理解し、それを経営者に正しく伝える役割も担っています。形式的なルールに縛られるのではなく、法律が本来何を意図していたのかを考えることが大切だと思います。

税理士として私が感じること

この訴訟を見て、私は改めて税理士の役割について考えさせられました。

税理士の仕事は、単に税務署のルールを経営者に伝えることではありません。経営者の実態を理解し、その上で税法をどう適用すべきかを一緒に考えることです。

保育料の問題も、もし経営者から「これは経費になりませんか?」と相談されたとき、「育児費用だから無理ですね」と形式的に答えるのではなく、なぜその支出が発生したのか、事業とどう関わっているのかを丁寧に聞き取り、一緒に考える姿勢が必要だと思います。

もちろん、現行の実務では保育料は経費として認められていません。それを知らずに申告すれば、税務調査で否認されるリスクがあります。その現実は、経営者にきちんと伝えなければなりません。

しかし同時に、「本来はこうあるべきだ」という視点も持ち続けるべきだと思うのです。

今回の訴訟は、まさにその「あるべき姿」を問うています。法律にない要件で経費を否認することの不当性を、専門家が正面から指摘しているのです。

経営者に近い存在として、実態を見る

私は常々、税理士は「経営者に近い立場で数字を見ながら、本人ともきちんと対話する存在」であるべきだと考えています。

数字だけを見て形式的に判断するのではなく、その数字の背景にある経営者の思いや、事業の実態を理解することが大切です。

保育料の問題も、まさにそうです。働く親にとって、保育料は単なる「育児費用」ではありません。それは仕事を続けるための、不可欠なコストなのです。

もし保育園に預けられなければ、仕事を辞めるか、大幅に収入を減らすしかありません。そういう実態を理解すれば、保育料が事業と無関係な「家事費」だとは到底言えないはずです。

これからの税法解釈に期待すること

次回期日は9月以降に開かれ、原告の本人尋問が行われる予定です。この訴訟がどのような結論に至るのか、税理士として強い関心を持って見守っています。

もし原告側の主張が認められれば、それは税務実務に大きな変化をもたらすでしょう。「直接の関連性」という法律にない要件が否定され、より実態に即した経費判断がなされるようになるかもしれません。

それは、働く親だけでなく、すべての個人事業主にとって意味のあることです。

なぜなら、形式ではなく実態で判断するという税法本来の考え方が、改めて確認されることになるからです。

最後に

税理士の仕事は、単なる数字の処理ではありません。経営者の実態を理解し、その上で税法をどう適用すべきかを一緒に考えることです。

そして何より、法律にないルールで経営者を縛るのではなく、法律の趣旨に立ち返って考える姿勢が大切だと、私は思っています。

今回の保育料訴訟は、まさにその姿勢を問うています。

税理士として、そして経営者に寄り添う存在として、私はこの訴訟の行方を注視していきます。そして、どのような結果になろうとも、実態を丁寧に見て、経営者と一緒に考えるという姿勢を、これからも大切にしていきたいと思います。

参考記事働く親が支払う「保育料」なぜ“必要経費”と認めない? 国は“法律にないルール”を裁判で主張…税法の専門家2名が批判【第6回口頭弁論】(弁護士JPニュース) – Yahoo!ニュース